大河内の家づくりのDNA

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大河内工務店の創業者、大河内秀夫にインタビューしました。


-なぜ、大工さんになろうと思ったのですか。
秀夫:13歳で父を亡くし兄が大学に行っていたので母と姉と私で田畑を守っていた。終戦の年に兄が帰郷したので私を仕事を探し食べていくには手に職をつけることが一番、そう思って大工になった。」
-大工修行時代のことを聞かせてください。
秀夫:給料は盆や正月以外はなかったわけだが職人をやっていれば食べるものには困らなかった。仕事をしていくうちに負けず嫌いだった私は仕事を人より早く覚え人よりきれいに造るということを常に心がけてきた。それとどこかに家が建ったら見に行って研究したりもともと人に聞くのが嫌いなので自分も勉強した。その頃は雨の日も風の日もタイヤのない自転車で現場まで通ったものだ。そういう時代だった。親方からまかされての初仕事でお施主さんに気に入ってもらい近所を何軒も紹介してもらった。
-20歳で独立されてから仕事をどんどん増やしていけたのはどうしてですか。
秀夫:昔は道具も充実していないし大工の腕も差があった時代だった。そんな中、私は絶対の間違いのない丁寧な仕事をやった。そしたらお施主さんが気に入ってくれてみんなに紹介してくれた。そのうち『あいつはいい家を建てる』と評判になった。それと私が『見た目にもかっこええ家』を研究して作った。屋根の勾配とか微妙なライン...『あの家は大河内が建てた家や』といわれるようにまでなった。デザインと品質、両方が大事。
-なぜ、1人親方として1000棟近い数を建てれるほどになったのだと思いますか。
秀夫:みんなが応援してくれたお陰だ。家は一人でできるものではない。当時は10人くらいでやっていて長い人で35年くらいの大工がいた。彼らも大河内で働くことでその大工の格があがりよった。だから厳しいけどみんなが意識を持ってやってくれた。

それとこちらから全く営業しなくてもお客さんの方から言ってくれるようになったのはお施主さんのお陰。評判を聞きつけて町外からもたくさん相談がくるようになっていた。それも予算の大きな建物も多くひとつひとつまじめに丁寧なかっこええ仕事をしたら紹介が増えた。

自分では現状に満足せず、次の仕事を次の目標をとやってきたつもりではある。
ーなぜ、他の大工さんとの間で『伝説の棟梁』と言われるようになったのですか。
秀夫:仕事の速さと仕上がりのきれいさは誰にも負けなかったということと建てた棟数が圧倒的に多かったことそして建てた家の質が高かったということだろうか。そのために人の3倍は働いてきたと思う。それから延べ20人を超える弟子たちを一人前に育てみんなそれぞれに活躍している。お陰で職人の間でそういわれるようになったのかな。
-現在の大河内工務店に大事にしたいものはなんでしょうか。
秀夫:我々の時代と表現は違うけれど基本は一緒。お客様のことをどれくらい思えるかということ。その想いが結果になって表れてくると思うよ